すべての恋は片想いである
苦しさの原因は、両想いであることへの義務感である。
誘われても乗り気になれないとき。
あるいは、つれないオーラを感じるとき。
本当は、すべての想いは片想いなのだから、ギクシャクした感じそのままでいい。それが当たり前なのである。
相手に合わせる必要はない。ただ、相手を不快にさせない工夫は必要だ。
相手の想いが熱くて引くくらいのとき、合わせて熱いふりをしないこと。それは嘘なので混乱させる。真実を知ったとき必要以上に落胆させる。
だけどくれるものはもらっていいと思う。あげられないものを求められたらするりとかわしていい。快適なところだけとっていいのだ。応えきれなくて悪いからといって、ぜんぶ受けとる必要なんてないし、なにもかも拒む必要もない。無理して喜ばせる意味はないし、痛みを与えたいわけでもない。
相手にしてみたら、部分的にでも受け取ってもらえることは、心豊かになれるというものだ。たとえそれが、寂しさや悲しさをも感じさせることだとしても。
相手を思う気持ち。これももちろん消す必要はない。使い方を考えたらよい。
プレゼントをしたいならすればいい。なにか作ってあげたいとか、助けてあげたいとかも、すればいい。
理由があればうまくいく。誕生日を思い出したから。お世話になったお礼をしたかったから。なんでもいいから受け取る理由を作ってあげればいい。負担をなくしてあげればいい。
親友。
恋人同士。
夫婦。
家族。
そんな両想いの関係ありますね。
でも厳密にはすべて、片想いです。
お互いを同じだけ愛していて、同じ与え方求め方をしている関係なんて、ただの一つもない。
赤ちゃんがお母さんのおっぱいを吸いたくても、おっぱい出ないことだってあるし、吸いたくもないときにあふれたりもするし。
どんな想いだって、それとまったく同じものが返ってくる関係なんて、ない。
だって、ひとりひとり別の人間なのだから。
想いも行動も必要性もそれぞれなのだから。